第1回では指向性スピーカーを「音の懐中電灯」にたとえました。音を一方向にだけ放ち、狙った方向の外は静かなまま——ではどうやってそれが可能なのでしょうか。どれほど良いスピーカーに替えても、聞こえる音をそのまま出しているかぎり音は四方に広がります。指向性スピーカーの答えは発想の転換にあります。聞こえる音を放つのではなく、聞こえない音に載せて送るのです。
聞こえない音に載せて送る——超音波搬送波
指向性スピーカーは、人の耳に聞こえない20kHz以上の高周波帯域、すなわち超音波を搬送波(Ultrasound Carrier)として使います。実際の製品は通常40kHz以上の帯域を用います。ここに二つの鍵があります。
- 直進性の秘密——波は周波数が高いほど(波長が短いほど)回折、つまり広がりが少なくなり直進性が強くなります。可聴音よりはるかに波長の短い超音波は、光に近い直進性を持ちます。第1回で見た「懐中電灯のような音」が成り立つ物理的な根拠です。
- 変調(Modulation)——伝えたい可聴音声信号を、高いエネルギーを持つ超音波信号に載せて放射します。ラジオが音声を電波に載せて送るように、指向性スピーカーは音声を超音波に載せて送ります。

ここまで聞くと、すぐに疑問が湧きます。超音波は聞こえない音なのに、そこに載せて送った音声を私たちはどうやって聞くのでしょうか。受信機もヘッドホンもないのに、です。
変調とは何か——包絡線に音を刻む
変調を一文に縮めれば「搬送波の大きさを音の信号に合わせて揺らすこと」です。最も基本形である振幅変調(AM)で送り出される波形は、次のような姿をしています。
送り出す超音波 =(基準の大きさ)×[1 + m × 音信号(t)]× cos(2π × 搬送周波数 × t)
ここで角括弧の中が包絡線(envelope)です。超音波そのものは40kHzで高速に振動しますが、その振幅の輪郭線が、伝えたい音の形をそのままなぞります。音は波形ではなく輪郭に刻まれて出ていくわけです。
式中のmは変調指数(modulation index)で、包絡線をどれだけ深く揺らすかを決めます。mが小さいと音は小さく、mが1に近づくほど音は大きくなりますが歪みも一緒に増えます。この一つの値をどこに置くかが音量と音質を交換する調整つまみであり、第14回で正面から扱います。
変調を行うと、周波数軸上で搬送波の両脇に側波帯(sideband)が生じます。40kHzの搬送波に20kHzまでのオーディオを載せると、実際の占有帯域は20〜60kHzになります。ここで直ちに設計上の制約が一つ現れます——下側波帯の下端が可聴上限である20kHzに触れてしまうのです。そのため実務ではオーディオ帯域を上から切り落とすか(音声案内なら8kHz程度で十分です)、搬送波をより高く取ります。
空気がスピーカーになる——パラメトリックアレイ
この問いの答えが、指向性スピーカー技術の心臓であるパラメトリックアレイ(Parametric Array)現象です。定義はこうです——強力な超音波が空気を通過するとき、空気の非線形性(Non-linearity)によって超音波は減衰し、載っていた可聴音がよみがえる現象。
順を追ってたどってみます。
- 超音波ビーム放射——音声を載せた強力な超音波ビームが空気中へ進みます。まだ何も聞こえません。
- 空気の非線形性——音圧が十分に強いと、空気はもはや「おとなしい」媒質ではありません。圧縮された側が膨張した側よりわずかに音速が速くなり、波形がみずから歪みます。
- 自己復調(Self-Demodulation)——この歪みの中で、超音波に載っていた可聴信号がひとりでに分離してよみがえります。高い周波数の超音波は空気に速く吸収されて消え、復元された可聴音だけが遠くまで残ります。
結局、音をつくるのはスピーカーの振動板ではなくビームが通る空気そのものです。超音波ビームの経路全体が、音を生み出す細長い仮想スピーカーになるわけです。「空気がスピーカーになる」という表現が誇張ではない理由であり、ビームの外にいる人には何も聞こえない理由でもあります。
なぜよみがえるのか——包絡線の「二乗の2階微分」
1965年に整理された自己復調の関係式は、この現象を驚くほど簡潔にまとめています。復元される可聴音圧はおおよそこう決まります。
可聴音圧 ∝(包絡線を二乗した値)を時間で2回微分したもの
短いながら、この一行に指向性スピーカーの長所と短所がすべて入っています。
- 「二乗」が歪みを生む——包絡線をそのままではなく二乗して使うため、元になかった倍音や和・差成分が生じます。部品の品質とは無関係な原理から生まれる歪みです。そこで実務では、あらかじめ平方根をかけた包絡線を送る事前補償を用います。二乗と平方根が相殺され、元の波形が戻る仕組みです。
- 「2階微分」が低域を削る——時間微分1回は周波数に比例して利得が上がることに等しいので、2回ならオクターブあたり12dBの傾きになります。高い音はよく出て、低い音は急激に弱くなるということです。第1回で述べた「低域が弱い」という限界の正確な出どころが、まさにこの項です。
まとめると、指向性スピーカーの信号処理は二乗を戻し(歪み補正)、2階微分を戻す(低域補償)という二つの仕事を同時にこなす作業です。この二つの補正をどこまで押し進められるかが、そのまま製品の音質であり、第12〜14回で具体的な手法を扱います。
なぜよりによって空気なのか——非線形性は水のほうが大きいのに
ここに一つ奇妙な点があります。この技術はもともと水中で生まれたもので、非線形性そのものは水のほうが空気より大きいのです。媒質の非線形の度合いを表す係数βは、水が約3.5であるのに対し、空気は1.2にすぎません。空気は理想気体に近いのでβ = 1 +(γ−1)/2 であり、2原子分子気体の比熱比γ = 1.4を入れれば直ちに1.2が出ます。
それでも空気ではこの方式のほうがはるかによく効きます。理由は、差周波の生成効率を左右するのがβ単独ではなくβを媒質のρc³で割った値だからです。ここでρは密度、cは音速です。
| 媒質 | 密度ρ | 音速c | 非線形係数β | ρc³ |
|---|---|---|---|---|
| 空気(20℃) | 1.2 kg/m³ | 343 m/s | 1.2 | 約4,800万 |
| 水 | 1,000 kg/m³ | 1,500 m/s | 3.5 | 約3兆4,000億 |
ρc³だけを見れば水は空気の約7万倍です。βが3倍近く大きいという水の利点を考慮しても、同じ音圧でつくり出せる差周波成分は空気側が2万倍以上有利になります。空気が「柔らかい」媒質であるという事実が、ここでは圧倒的な長所になるわけです。
同時に代償も明確です。空気は超音波を速く吸収するため、ビームは数メートル以内に力を失います。水中でパラメトリックアレイが数kmを進むソナーとして使われる一方、空気中では数m〜数十mの屋内機器になる理由です。同じ原理が媒質によってまったく別の製品になるわけです。
搬送周波数はどう選ぶのか
搬送波を高くするほどビームは細くなりますが、空気がより速く食べてしまいます。以下は直径100mmの円形配列を基準に、国際標準の計算式(20℃・湿度50%)と円形口径の指向特性から求めた値です。
| 搬送周波数 | 波長 | ビーム幅(−3dB、口径100mm) | 空気吸収 | 実務上の評価 |
|---|---|---|---|---|
| 25kHz | 13.7mm | 約8.1° | 0.73dB/m | 到達距離は長いが可聴漏れの危険 |
| 40kHz | 8.6mm | 約5.0° | 1.32dB/m | 最も広く使われる均衡点 |
| 60kHz | 5.7mm | 約3.4° | 1.98dB/m | ビームは鋭いが距離を失う |
| 100kHz | 3.4mm | 約2.0° | 3.28dB/m | 近距離専用、トランスデューサ調達が難 |
40kHzが事実上の標準のように使われる理由が表に表れています。可聴上限から十分に離れており搬送波が直接聞こえる危険が低く、吸収も許容範囲で、安価な圧電トランスデューサがこの帯域に集まっているのです。トランスデューサの共振特性は第9・10回で扱います。
ハードウェアの進化——ドームからアレイへ
原理を実装するハードウェアも世代を経て進化してきました。

- 過去——物理的反射:パラボラアンテナのような形のドーム(パラボリック反射板)で音を集める方式です。原理は単純ですが大きく、設置の制約が多くありました。
- 現在——トランスデューサアレイ:複数の小型超音波トランスデューサを平面に配列し、各素子の位相(Phase)を制御してビームの方向と音圧を操ります。反射板なしに薄いパネル一枚でビームをつくり、電子的に照準方向まで変えられます。
- 最新——MEMSスピーカー:半導体プロセスでつくる超小型スピーカーチップです。超小型化・超薄型化により、モバイル機器への搭載まで可能になる段階です。
平面配列と位相制御は、第1回で述べた面音源(Planar Source)を実際につくる方法であり、ビームフォーミング(Beamforming)という名前で第8回に詳しく扱います。表で見たビーム幅も結局は口径をどれだけ大きくするかの問題ですから、配列の大きさがそのまま指向性の大きさです。
一台のスピーカーの中で信号が通る道
ここまでが物理です。実際の装置の中では、この物理を使うために信号がいくつもの段を順に通っていきます。段ごとに役割が異なり、出来が悪いときに現れる症状も異なります。前の節で散らばって出てきた概念が、どの位置に置かれるのかを一列に並べてみます。
| 段 | 何をするか | この段が弱いと |
|---|---|---|
| 1. 入力・帯域制限 | オーディオを受け取り上限を切ります。音声案内ならたいてい8kHz付近で切ります | 下側波帯が20kHzより下に降り、搬送波近傍の成分が耳に直接聞こえてしまいます |
| 2. 低域補償 | 2階微分によってオクターブあたり12dBずつ削られる分を、あらかじめ持ち上げます | 声が薄く細くなり、同じ音量でも明瞭度が落ちます |
| 3. 事前補償——包絡線の整形 | 空気がかけることになる二乗を、あらかじめ戻しておきます(平方根系の整形) | 倍音と和差成分がそのまま残り、粗く濁った音になります |
| 4. 変調 | 整形した包絡線を搬送波に載せます。変調指数mで音量と歪みを取り引きします | mを上げれば大きくなりますが歪みも急増し、下げれば静かになります |
| 5. 増幅・駆動 | 数百個の素子を同時に振らせるだけの電圧と電流を供給します | ピークが潰れ(クリッピング)包絡線が均され、前段の補正がまるごと無意味になります |
| 6. トランスデューサーアレイ | 電気を超音波に変え、素子間の位相差でビームを形づくります | 共振から外れた周波数が出にくく、載せられる帯域が狭くなります |
| 7. 空気 | 復調器の役目を担います。ビームが通る経路全体で音がつくられます | 温度・湿度が変わると吸収が変わり、音量と到達距離がそろって揺らぎます |
この表で注目すべきは順序です。補正が前にあり、歪みの原因が最後にあります。一般的なスピーカーは歪みを生む部品が鎖の末端にあり、その先に手を入れる場所がありません。パラメトリックスピーカーは歪みを起こす主体が空気であることも、その数式もあらかじめ知っています。だから逆算して前段に入れておける。歪みが原理的だという言葉は、避けられないという意味だけでなく、計算できるという意味でもあります。
同時に、この鎖は最も弱い環が全体を決めます。どれほど精巧な事前補償を入れても5段目で波形が潰れれば無意味であり、6段目の帯域が狭ければ2段目で苦労して持ち上げた低域はそもそも放射されません。信号処理とハードウェアを切り離して最適化できない理由であり、このシリーズが物理と回路と信号処理を並べて進む理由でもあります。
4段目について一つ付け加えます。同じ現象を超音波二つで説明する文章もよく見かけます。40kHzと41kHzを並べて出せば、その差である1kHzが聞こえる、という具合です。別の原理ではなく、同じ式を違う切り方で見たものです。包絡線を揺らすという記述と、その揺れを周波数軸で搬送波と側波帯に分解した記述は、同じ事実を指しています。二つのトーンはそのうち最も単純な場合——載せる音が純音一つだけの場合——にすぎません。
音はどこから聞こえはじめるのか
一般的なスピーカーは振動板のすぐ前が最もうるさくなります。パラメトリックスピーカーは違います。放射面のすぐ前には超音波だけがあり、可聴音はほとんどありません。音はビームが空気の中を進むあいだに少しずつ積み上がってつくられるからです。
そのため音圧が距離に対して描く曲線は奇妙です。放射面から出発してしばらく大きくなり、搬送波が吸収で力を失って新しい音をつくれなくなる地点から、ようやく減りはじめます。一般的なスピーカーなら最初から最後まで減る一方ですが、こちらは最も大きい地点がスピーカーから数メートル離れた場所にあります。
この性質には実用的な含意が二つあります。一つは近すぎるとかえって聞こえにくいということです。キオスク端末のように50cmの距離で使うなら設計を変えねばなりません。もう一つは安全の余裕が逆になっていることです。可聴音が最も小さい場所で超音波は最も強いので、人が機器に近づくほど得るものは少なく、さらされるものは多くなります。第3回が設置高さと角度をあれほど強調する理由が、この一本の曲線に入っています。
よくある三つの誤解
- 「超音波は完全に消える」——正確ではありません。吸収によって次第に減っていくのであり、スピーカーのすぐ前では搬送波が最も強くなります。人の頭が近距離に来ないよう設置高さと角度を取ることが設計の基本です。
- 「ビームの中でしか聞こえない」——自由空間でのみ真です。ビームが壁・床・ガラスに当たれば、その地点が新しい音源のように振る舞い部屋全体へ広がります。何に狙うかが設計の半分です。
- 「変調さえすれば音が出る」——音は出ますが、そのままでは歪みが大きくなります。先に見た二乗・2階微分の項を補正しない素のAMでは、音声の明瞭度すら確保しにくいのです。
三文まとめ
- 可聴音声を聞こえない超音波の包絡線に載せ(変調)、直進性の強いビームで放つ。
- 空気の非線形性がみずから復調するが、復元音は包絡線の二乗を2階微分した形であるため、歪みと低域不足が原理的についてくる。
- この原理をトランスデューサアレイと位相制御で実装し、ハードウェアはドームからMEMSへと小さくなっている。
シリーズ案内
「指向性スピーカーの科学」は以下の順で続きます。
- 指向性スピーカーとは何か——音の懐中電灯
- 聞こえない音に音を載せる——動作原理への第一歩(今回)
- 指向性スピーカーの活用事例——展示・安全・リテール・オフィス
- 超音波とは何か——定義・種類・伝搬特性
- 以降:パラメトリックアレイ(PAA)、ビームフォーミング、圧電トランスデューサ、ナイキスト、変調、信号処理
本シリーズは、超音波指向性音響技術を自ら研究・整理した自作の講義資料をブログ形式で再構成したものです。図版は当該資料から抜粋しています。
参考資料
- H. O. Berktay, "Possible exploitation of non-linear acoustics in underwater transmitting applications," JSV 2(4), 435 (1965):本文の「包絡線の二乗の2階微分」関係式の原典
- P. J. Westervelt, "Parametric Acoustic Array," JASA 35(4), 535 (1963):非線形相互作用により差周波成分が生成されるという理論
- M. Yoneyama et al., "The audio spotlight: An application of nonlinear interaction of sound waves to a new type of loudspeaker design," JASA 73(5), 1532 (1983):空気中でトランスデューサ配列によりパラメトリックスピーカーを実装した実験
- T. Kamakura et al., "Parametric loudspeaker — characteristics of acoustic field and suitable modulation of carrier ultrasound," Electron. Commun. Jpn. 74(9), 76 (1991):搬送波の変調方式による音場・歪み特性の比較
- "Dynamic single sideband modulation for realizing parametric loudspeaker," AIP Conf. Proc. 1022, 613 (2008):側波帯処理により帯域と歪みを同時に抑える変調手法
- H. E. Bass et al., "Atmospheric absorption of sound: Further developments," JASA 97(1), 680 (1995):表の空気吸収係数(25kHz 0.73・40kHz 1.32・60kHz 1.98・100kHz 3.28 dB/m)の計算根拠
- US 5,889,870 — Acoustic heterodyne device and method:超音波搬送波で可聴音を得る方式の特許
- Amplitude modulation — Wikipedia:包絡線・変調指数・側波帯の基本定義
- Sideband — Wikipedia:搬送波の両脇に生じる側波帯と占有帯域幅
- Nonlinear acoustics — Wikipedia:大きな音圧で波形が歪む非線形音響の概観
- Sound from ultrasound — Wikipedia:超音波で可聴音をつくる技術全般