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指向性スピーカーの科学 #08 — 音を狙い撃つ:フェーズドアレイとビームフォーミング

2026年7月9日·閲覧 90·コメント 0

シリーズ指向性スピーカーの科学·8 / 14話

第6・7回で、空気に音を作らせる方法(PAA)を学びました。残る問いは照準です——作られたビームをどうやって望む方向へ曲げるのか?答えはスピーカーを物理的に回すことではありません。時間を操ることです。今回のテーマはフェーズドアレイ(Phased Array)とビームフォーミング(Beamforming)です。そして今回は規則を言葉だけで説明せず、40kHzという実際の搬送波に代入して、素子間隔4.3mmという数字がどこから出てくるのかまで計算してみます。

水切りの直観 — 同時に落とせば直進、順番に落とせば旋回

水面の波紋の比喩 — 石を三つ同時に落とすと波面は正面へ、順番に落とすと波面が傾いて操舵される

静かな湖に石を三つ同時に落とすと、三つの波紋が合わさった波面は正面へ進みます。今度は左から順番に落としてみてください。先にできた波紋がより遠くまで広がった状態で遅れた波紋が合流するので、合わさった波面は斜めに傾いて進みます。石を投げる位置はそのままなのに、波面の方向が変わりました——これがビームフォーミングのすべてです。時間差が方向を作るのです。

フェーズドアレイ — タイミングの魔法3ステップ

フェーズドアレイ3ステップ — 位相遅延(Phase Delay)、強め合い・打ち消し合いの干渉(Interference)、電子式操舵(Electronic Steering)
  1. 位相遅延(Phase Delay) — 一列に並んだ素子に順次的な時間遅延をかけて発射します。
  2. 干渉(Interference) — 各素子の波が重なり、特定の方向では山どうしが出会って強まり(強め合いの干渉)、それ以外の方向では互いに打ち消し合います(打ち消し合いの干渉——沈黙の領域)。
  3. 電子式操舵(Electronic Steering) — 遅延パターンを変えるだけでビームが左へ、右へ、中央へと動きます。可動部品なしでソフトウェアだけで照準方向を変える「仮想レンズ」です。

第2回で予告した「位相制御」の実体がこれです。ちなみにこの原理はレーダーや5Gアンテナでもまったく同じように使われます——波であれば音でも電波でも同じ数学が通用します。

操舵角と位相差 — 式ひとつで片づく

隣り合う二つの素子から出た波が角度θの方向で山どうし出会うには、その方向へ向かう経路長の差がちょうど補償されなければなりません。間隔dの二素子の経路差はd·sinθですから、必要な時間遅延と位相差は次のようになります。

Δt = d·sinθ / c , Δφ = 2π·(d/λ)·sinθ [rad] = 360°·(d/λ)·sinθ

ここでcは音速(343m/s)、λは波長です。第1回で見たとおり40kHz搬送波の波長はλ = 343 ÷ 40,000 = 8.575mm、一周期は25μsです。素子間隔を半波長の4.29mmに取れば上式はΔφ = 180°·sinθと単純になります。実際の値は次のとおりです。

操舵角θ隣接素子間の位相差時間遅延備考
0°(正面)0°0μs全素子が同時発射
5°15.7°1.09μs—
10°31.3°2.17μs—
15°46.6°3.24μs—
30°90.0°6.25μs一周期の1/4
45°127.3°8.84μs—
60°155.9°10.83μs—
90°(真横)180.0°12.50μs半周期——理論的限界

表で重要なのは最後の行です。d = λ/2において90°操舵に必要な位相差がちょうど180°、すなわち半周期です。位相は360°を超えると戻ってしまうので、半波長間隔は0°から90°までのすべての方向を位相の重複なく指定できる最大の間隔という意味になります。後に出てくるd ≤ λ/2規則の正体がまさにこれです。

実務的に注目すべきは時間遅延の大きさです。30°操舵に必要な遅延が6.25μsで、これを1°の分解能で制御するにはおよそ0.2μs単位の時間分解能が必要になります。デジタルで実装すれば数MHz帯のタイミングクロックが要求されるということです。操舵をアナログ遅延線ではなくデジタル信号処理で行うのが標準になった理由がここにあります。

素子間隔の規則 — 空間エイリアシングとd ≤ λ/2

ところが素子を好き勝手に並べてはいけません。間隔が広すぎると空間エイリアシング(Spatial Aliasing)という錯覚が生じます。

空間エイリアシングの比喩 — カメラのフレーム不足で車輪が逆回転して見える錯覚のように、広い素子間隔は幽霊ビームを作る

映像で高速に回る車輪が逆回転して見えるのは、カメラのフレーム(サンプリング)が車輪の回転に追いつけないからです。スピーカーアレイもまったく同じです。素子間隔が波長に比べて広すぎると、空間をまばらにサンプリングしたことになり、意図しない方向に幽霊ビームが生じます。

山の稜線の比喩と音響理論 — 波長の半分以下の間隔(d≤λ/2)でなければ波面は正しく復元されない

山脈の稜線を旗で示すと考えてみてください。峰と峰のあいだの谷にも旗を立ててこそ稜線の形が復元されます。波も同様に、素子間隔dが波長の半分(λ/2)以下でなければ、望む波面ひとつだけをきれいに作ることはできません。このd ≤ λ/2がアレイ設計の第一規則であり——お気づきのとおり、デジタルサンプリングのナイキスト定理と同じ原理です(第11回で正面から扱います)。

数字を入れると、この規則は極めて冷厳な制約になります。40kHzではλ = 8.575mmですから

d ≤ λ/2 = 8.575mm ÷ 2 = 4.29mm

です。素子の中心間距離が4.3mmを超えてはならず、同時に素子の直径そのものも4.3mmを超えてはならないという意味になります。直径100mmの円板をこの間隔で埋めるには一辺に23個、正方格子で約420個、六方最密配置で約490個の素子が必要です。アレイ設計でなぜ素子数がそこまで増えるのかが、この一行から出てきます。

グレーティングローブ — 意図しない偽の音ビーム

グレーティングローブ概念図 — 主ビーム(Main Lobe)の横に規則違反(d>λ/2)で生じる幽霊ビーム(Phantom Beam)

規則を破ると(d > λ/2)現れる幽霊ビームには名前もあります——グレーティングローブ(Grating Lobe)。狙った主ビーム(Main Lobe)の横に対称に生じる偽ビームで、懐中電灯を壁に当てたのに見えない鏡のせいで見当違いの場所まで明るくなってしまう状況と同じです。指向性スピーカーにおいてグレーティングローブは「隣の人にも聞こえる音」という致命的欠陥になるため、素子間隔の設計で必ず抑え込まなければなりません。

グレーティングローブが現れる角度は正確に計算できます。主ビームをθ₀に操舵したとき、幽霊ビームは次の条件を満たすθに生じます。

sinθ = sinθ₀ ± λ/d (ただし|sinθ| ≤ 1の場合にのみ実際に現れる)

この式から、dが小さいほどλ/dが大きくなり、やがて解が存在しなくなることが読み取れます。それがd ≤ λ/2規則の導出です。θ₀を±90°まで使うにはλ/d ≥ 2が必要で、これはすなわちd ≤ λ/2です。逆に操舵範囲を狭めれば間隔を広げてもかまいません。条件はd/λ ≤ 1/(1 + |sinθ₀|)で、40kHzでの結果は次のとおりです。

素子間隔dd/λグレーティングローブなしの最大操舵角設計の性格
4.29mm0.50±90°完全自由操舵
5.14mm0.60±41.8°屋内の広い操舵
6.00mm0.70±25.4°座席数個ぶんの範囲
6.86mm0.80±14.5°微調整レベル
8.58mm1.000°(操舵不可)固定ビーム専用

表の最後の行が特に重要です。間隔が一波長になると正面へ撃つことすらグレーティングローブの境界にかかります。まったく操舵せず正面固定でのみ使うのであればd < λまでは耐えられますが、その瞬間このアレイは「フェーズドアレイ」ではなく、単に複数個を貼り合わせただけのスピーカーになります。

素子数が決めるもの — ビーム幅と操舵の代償

間隔が幽霊ビームを決めるなら、素子数はビームの太さを決めます。均一に駆動される長さLの線形アレイが作る半値幅(−3dBビーム幅)は次の近似式に従います。

ビーム幅 ≈ 0.886 × λ / L [rad] ≈ 50.8° × λ / L

d = λ/2で埋めたアレイはL = N·λ/2ですから、λが消えてビーム幅はおよそ101.6° ÷ Nになります。素子数だけでビーム幅が決まるということです。

素子数Nアレイ長(4.29mm間隔)搬送波ビーム幅3m距離のスポット径
834.3mm12.7°—
1668.6mm6.35°33.3cm
32137.2mm3.17°16.6cm
64274.4mm1.59°8.3cm
128548.8mm0.79°—

第3回で「5°ビームは3mで直径0.26m」と述べたサウンドゾーンの計算につながります。その程度のビームを得るには半波長間隔を基準に一軸あたり20個あまりの素子が必要で、アレイの物理的な長さが8〜9cmは要るという意味です。素子を増やす以外にビームを狭める方法はありません——開口がそのまま分解能です。

ここに操舵の代償が加わります。ビームをθだけ曲げると、その方向から見たアレイの実効開口がcosθ倍に縮むため、ビーム幅は1/cosθ倍に広がります。N = 32(正面3.17°)を基準にすると、15°操舵で3.28°、30°で3.66°、45°で4.49°、60°で6.35°になります。60°まで曲げるとビームは正面比で二倍に太ります。操舵可能範囲を±30〜40°に取る設計が多い理由がこれです。

サイドローブ — 均一駆動の代償

規則をすべて守ってグレーティングローブをなくしても、主ビームの横には必ず小さな山が残ります。これがサイドローブ(side lobe)です。グレーティングローブが規則違反の結果であるのに対し、サイドローブは有限の開口をもつすべてのアレイの宿命です。アレイを唐突に断ち切る矩形窓(すべての素子を同じ強さで駆動する)の代償として、第一サイドローブは主ビームより約13dB低い水準で止まります。素子をいくら増やしてもこの13dBは改善しません。

解法は素子数ではなく振幅シェーディング(amplitude shading)です。端の素子を弱く駆動して開口の境界をなだらかにすれば、サイドローブは大きく下がります。信号処理で使う窓関数を空間にそのまま適用するもので、代表的な値は次のとおりです。

駆動分布(窓関数)第一サイドローブ主ビーム幅の倍率性格
均一(矩形窓)−13.3dB1.00最大出力・最小ビーム幅
Hann−31.5dB1.44バランス型
Hamming−42.7dB1.47漏れ抑制に優れる
Blackman−58.1dB1.68極端な抑制・ビーム損失大

表が語るのは明確な交換です。サイドローブを−13dBから−43dBへ30dB下げる代償として、ビームが1.5倍太ります。そして端の素子を絞ったぶん総出力も落ちます。指向性スピーカーではここにもう一つ効いてきます——第7回で見たとおり可聴音は搬送波音圧の二乗に比例するので、搬送波で−13dBのサイドローブは可聴音ではおよそ−26dBになります。非線形変換が指向性をもう一段鋭くしてくれる、この技術の数少ない無料の贈り物です。

配列の幾何 — 直線、正方、六方

スピーカーアレイ幾何の比較 — 直線(広がり)、正方(サイドローブ警告)、六方(レーザー型ビーム)の性能差

同じ個数の素子でも配置によってビーム品質が変わります。直線(Linear)配列は一軸しか絞れないためビームが扇形に広がり、正方(Rectangular)格子は二軸を絞れますが行・列の規則性のためサイドローブ(side lobe)が残ります。六方(Hexagonal)配置は素子を最も密に敷き詰め、同じ面積で最もきれいなレーザー型ビームを作ります。ハチの巣が最小の材料で最大の空間を埋めるのと同じ幾何学です。

六方配置の利点は二つの形で定量化できます。第一に、円を平面に敷き詰める充填率が正方格子のπ/4 ≈ 78.5%から六方配置のπ/(2√3) ≈ 90.7%へ上がります。同じ面積に約1.15倍の素子が入るので出力もそのぶん増えます。第二に、グレーティングローブが現れ始める間隔そのものが六方配置では余裕があります。幽霊ビームは配列が作る格子の逆格子(reciprocal lattice)の位置に生じますが、三角(六方)格子の逆格子は正方格子より2/√3 ≈ 1.155倍遠くにあります。同じ理屈で計算すると、完全自由操舵(±90°)が可能な最大間隔が正方格子の0.5λ = 4.29mmから六方配置の0.577λ = 4.95mmへ広がります。素子を4.3mmまで小さくするのが難しい40kHz帯において、この0.7mmの余裕は決して小さくありません。加えて正方格子は幽霊ビームが行・列の二方向に集中するのに対し、六方配置は六方位に分散するため、特定方向に強い漏れが生じる確率も低くなります。

設計者のジレンマ — 4.3mmを守れないとき

ここからは現実です。40kHzで共振する圧電素子は、その共振条件によって物理的な寸法が決まります(第9・10回のテーマです)。広く使われている形式の40kHz超音波素子はケース直径が10mm前後で、4.29mm間隔は物理的に不可能です。ではどうなるのでしょうか。

d = 10mmを先ほどの式に入れるとλ/d = 0.857ですから、正面操舵でもsinθ = ±0.857、すなわち±59.0°にグレーティングローブが生じます。ビームを10°曲げれば幽霊ビームは−43.1°へ、20°曲げれば−31.0°へと大股で近づいてきます。操舵するほど幽霊が主ビーム側へ迫るということです。

それでも実際の製品がそれなりに動作する理由があります。素子ひとつがすでに指向性をもつからです。直径10mmの円形振動面の指向特性を計算すると−3dBビーム幅が52.4°で、59°方向ではすでに−14.8dB落ちています。アレイ因子が作った幽霊ビームを素子因子が15dB押さえ込んでくれるのです。さらに可聴音は搬送波の二乗ですから、ここで−29.6dBとなり実質的に聞こえない水準まで下がります。規則違反を素子の物理的な大きさが部分的に救ってくれる構造です。

もちろんこれは正面付近を使うときの話で、大きく操舵すれば幽霊ビームが素子指向性の中央寄りに入り込み、抑制が急激に弱まります。広角の電子式操舵を本気でやるには、結局素子を小さくすること以外に道はありません。半導体プロセスで振動膜を直接作る圧電微細加工超音波トランスデューサ(PMUT)アレイが指向性オーディオ研究で繰り返し登場する理由がここにあります——素子を数百マイクロメートル単位まで縮めれば、4.3mm規則がようやく余裕をもって守られます。

限界とよくある誤解

  • 「ビームフォーミングすれば音が大きくなる」という誤解 — ビームフォーミングはエネルギーを作る技術ではなく集める技術です。総放射出力は素子数に比例するだけで、軸上音圧が高くなるのは横へ行くはずのエネルギーを前へ回した結果です。
  • 「操舵範囲はソフトウェアの問題」という誤解 — 操舵角の上限はコードではなく素子間隔が決めます。dが決まった瞬間、最大操舵角はすでに決定されています。
  • 近距離ではビーム幅の式が通用しない — 上のビーム幅近似式はすべて遠距離(フラウンホーファー領域)が前提です。第7回で計算したレイリー距離(直径100mm・40kHzで約0.92m)の内側では、ビームはむしろ開口の大きさのまま進み、操舵も意図どおりになりません。
  • 搬送波を操舵しても可聴音の指向性はそのままついてこない — 可聴音はビームに沿って数メートルにわたり分布した仮想音源から作られます。搬送波ビームを曲げればその仮想音源の柱全体が傾かなければならないので、操舵角が大きくなるほど実際の可聴音の方向と搬送波の照準方向のあいだに誤差が生じます。
  • 素子の個体差がそのままサイドローブになる — シェーディングで−43dBを設計しても、素子間の感度・位相のばらつきが大きければ実測サイドローブはその水準まで下がりません。大量の素子を使う設計では、素子の選別と個別補正が性能の実質的な上限を決めます。

まとめ

ビームフォーミングは時間差(位相)で波面の方向を作る技術であり、その品質はd ≤ λ/2の間隔規則と配列の幾何が決めます。今回得た数字で書き直せば——40kHzで間隔は4.29mm以下、30°操舵には隣接素子間で6.25μsの遅延、3°ビームには32個の素子と137mmの開口、均一駆動のサイドローブは−13dB、10mm素子を使えば±59°に幽霊ビーム——この五つがアレイ設計の座標です。次回は視線を素子ひとつに絞ります——電気を音に変える心臓、圧電効果です。

シリーズのご案内

「指向性スピーカーの科学」は以下の順序で続きます。

  1. 指向性スピーカーとは何か — 音の懐中電灯
  2. 聞こえない音に音を乗せる — 動作原理の第一歩
  3. 指向性スピーカーの活用事例 — 展示・安全・リテール・オフィス
  4. 超音波とは何か — 定義・種類・伝播特性
  5. なぜ超音波なのか — 生成原理と応用マップ
  6. 空気がスピーカーになる魔法 — PAA非線形音響
  7. PAA理論の深掘り — Berktay・Westervelt・KZK
  8. 音を照準する — フェーズドアレイとビームフォーミング(今回)
  9. 以降:圧電効果、トランスデューサ設計、ナイキスト、変調、信号処理

本シリーズは、超音波指向性音響技術を自ら研究・整理した自作の講義資料をブログ形式に再構成したものです。図版は当該資料から抜粋しました。

参考資料

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