前回はしきい値電圧を三つの方法で求めました。同じ一本の曲線から三つの値が出てきて、変わったのは素子ではなくどこを読むかについての取り決めだけでした。
しきい値電圧は「どこで点くのか」に答えます。ところが、スイッチに対して投げかけられる問いはもう一つあります —— どれだけきれいに点いて消えるのかです。しきい値電圧が同じ二つの素子が、この問いにはまったく違う答えを返すことがあります。一方は狭い電圧の中で一気に点き、もう一方は広い電圧にわたってゆるやかに点きます。
この回は、その「きれいさ」を測る二つの数字を見ます。しきい値下の区間の傾きと、オン電流・オフ電流の比です。前者は点いていく過程の急峻さを、後者はオン状態とオフ状態がどれだけ離れているかを測ります。
本文の条件値は計算の過程を示すための例であり、特定の会社の仕様ではありません。引用した数値はすべて公開文献で確認した値で、出典は記事の最後に残します。
しきい値下の傾き —— 一桁上げるのにかかる電圧
#02 で伝達曲線を対数軸に載せました。四つの区間のうち二番目、しきい値下の区間がまっすぐな直線でした。指数関数に対数をかけると直線になるからです。
直線であれば、傾きを一つの数字で書くことができます。ウィキペディアの 「Subthreshold slope」の項目は、この区間を電界効果トランジスタの電流・電圧特性の一つの性質として扱い、ゲート電圧に対して電流が対数-線形に振る舞うと記しています。その傾きをしきい値下の傾き(subthreshold slope)と呼びます。
実際に値を書くときは、傾きそのものではなくその逆数を使います。これがしきい値下スイング(subthreshold swing)で、単位は mV/decade です。「Subthreshold slope」の項目は、ここで使われる decade をドレイン電流が 10 倍になることと定義しています。
すると意味は一文にまとまります。
- しきい値下スイング = 電流を十倍にするのに必要なゲート電圧
単位をほどいて読めば済みます。60 mV/decade なら、ゲート電圧を 0.06 V 上げるたびに電流が十倍ずつ増えます。600 mV/decade なら、同じ十倍を得るのに 0.6 V かかります。
「傾き」なのに小さいほどよい
名前に傾きが入っていますが、値が小さいほど急です。傾きではなく逆数を書くからです。初めて見ると引っかかるところなので、一度断っておきます。
なぜ小さいほうがよいのかは、数字を入れてみると明らかになります。オフ状態からオン状態まで電流が六桁上がるとしてみましょう。
- 100 mV/decade の素子 —— 0.1 V × 6 = 0.6 V
- 300 mV/decade の素子 —— 0.3 V × 6 = 1.8 V
同じことをするのに三倍の電圧がかかります。スイッチを点けたり消したりするのにかかる電圧が、そのまま素子を駆動する回路の電圧範囲になりますから、この差はそのままどれだけ少ない電圧で確実に点けて消せるかの差です。
下がれない底があります
ここでこの回の中心となる事実が出てきます。しきい値下スイングはどれだけうまく作っても、室温ではある値より下に下がりません。
ウィキペディアの「Subthreshold slope」の項目が載せている式はこうです。
S = ln(10) · (kT/q) · (1 + Cd/Cox)
Cd は空乏層容量、Cox はゲート絶縁膜容量、kT/q は熱電圧です。括弧の中が 1 より小さくなれないという点に注目すると、この式の最小値は括弧が 1 のときです。「Subthreshold slope」の項目はそのときの値を Smin = ln(10)·kT/q と書き、これを熱電子放出限界(thermionic limit)と呼び、室温 300 K で 60 mV/decade と記しています。
直接計算してみます
この 60 という数字は覚えるものではなく、掛け算一回です。前のシリーズで使った熱電圧の値をそのまま持ってきます。ウィキペディアの 「Thermal voltage」の項目は、300 K(27 °C)で kT/q が約 25.85 mV だと記しています。この記事は 300 K を仮定して計算します。
- kT/q = 0.02585 V
- ln 10 = 2.3026
- 0.02585 × 2.3026 = 0.05952 V
約 59.5 mV です。文献が言う 60 mV/decade は、この値を四捨五入したものです。
なぜ ln 10 を掛けるのかも一行で説明できます。熱電圧は電流が e(約 2.718)倍になる電圧です。私たちが数える単位は十倍ですから、e を何回掛ければ 10 になるか —— つまり ln 10 を掛けて桁の単位に移したわけです。
この底はどこから来るのか
計算が短いだけに、根も単純です。底を決めるのは素子の構造ではなく温度です。
キャリアはみな同じエネルギーを持っているわけではありません。熱によって広がっていて、その分布にはエネルギーの高いほうへ長く伸びた尾があります。ゲートを切って障壁を立てても、その尾にあたるキャリアは障壁を越えていきます。障壁を少し高くすれば越える数は減りますが、減る速さは分布が決めます。
ウィキペディアの 「Tunnel field-effect transistor」の項目は、この関係を一文で記しています —— トンネル電界効果トランジスタはキャリアの熱的なマクスウェル–ボルツマンの尾に制限されず、その尾が従来方式の素子のしきい値下スイングを室温で約 60 mV/decade に制限している、というものです。「Tunnel field-effect transistor」の項目はこれを電力縮小の根本的な限界として扱い、障壁を越える熱電子放出の代わりにトンネリングを変調する方式でこれを回避すると説明しています。
この限界には分布の名前が付いています。Beckers・Jazaeri・Enz の論文(arXiv:1811.09146)は題名のとおり電界効果トランジスタのしきい値下スイングの限界を扱い、極低温でボルツマン限界(Boltzmann limit)から外れる温度依存の限界を報告しています。言い換えれば、室温で私たちが出会うあの底がボルツマン限界です。
温度が式に掛かっているという点は、逆から読むとこうなります —— 温度を下げれば底も下がります。Bohuslavskyi らの測定(arXiv:1903.05409)は 4.3 K で 7.3 mV/decade を報告しています。ただし画面や回路が室温で動作するかぎり、この底は材料を変えたり構造を整えたりすることでは消えません。
傾きが寝る理由 —— 電圧が分けられるからです
では実際の素子が 59.5 より大きな値を持つ理由は何でしょうか。式の括弧、すなわち1 より大きな取り分がどこから来るのかを見ればわかります。
Bohuslavskyi らの測定論文はスイングを S = m · ln10 · kT/e と書き、m を界面トラップ容量 Cit をゲート絶縁膜容量 Cox に対して含めた数と定義します。m = (Cox + Cit)/Cox であり1 以上です。m が 1 なら室温で 60 mV/decade になります。
Bohuslavskyi らの論文は、ゲート電圧がどう使われるのかも書き留めています。ゲートにかけた電圧は半導体表面の電位と絶縁膜にかかる分に分かれます。電流を決めるのは前者、つまり表面電位です。
ここで原理が見えます。ゲート電圧を 1 だけ上げても、表面電位は 1 だけ上がりません。絶縁膜とその界面が自分の取り分を持っていき、残ったものだけが表面に届きます。界面に電荷を捕まえておく場所が多ければ、その場所がまず埋まりながら取り分を大きく持っていきます。チャネルに届く分が減るので、同じ電圧をかけても電流はあまり増えません —— 曲線が寝ます。
数字ではこう現れます。Bohuslavskyi らの論文は自分たちの素子について、長いチャネルで m = 1.14、短いチャネルで m = 1.23 を得たと記しています。掛けてみると
- 59.5 × 1.14 ≈ 67.8 mV/decade
- 59.5 × 1.23 ≈ 73.2 mV/decade
ウィキペディアが記す「縮小された素子の室温実測値はおよそ 70 mV/decade」と食い違いません。下限と実測値の間の隔たりがそのまま m であり、m は絶縁膜とその界面が持っていく取り分です。
オン電流・オフ電流、そしてその比
二つ目の数字に移ります。しきい値下スイングが点いていく過程を測ったとすれば、今度はオン状態とオフ状態そのものを見ます。
- オン電流 —— 点けた条件で流れる電流を代表する値です。
- オフ電流 —— 消した条件で流れる電流を代表する値です。
- オン・オフ比 —— 前者を後者で割った値です。
#03 で見た原則がここでもそのまま当てはまります。三つとも定義値です。曲線のどこを読むか —— ゲート電圧をいくつに、ドレイン電圧をいくつにして読むか —— を決めなければ値は決まりません。ですからオン電流とオフ電流は読んだ条件とともに書いてこそ意味が残ります。
比の意味は直感的です。ウィキペディアの 「Organic field-effect transistor」の項目は、オン・オフ電流比が素子を消すことができる能力を表す値だと記し、比較対象であるアモルファスシリコン薄膜トランジスタの値を 106~108 として紹介しています。百万倍から億倍です。
対数軸に慣れてくると、この値は目でそのまま読めます。縦に何マス離れているかがそのまま桁の差であり、それが比です。七マス離れていれば 107 倍です。
二つの数字の関係もここで表れます。Bohuslavskyi らの測定論文は、スイングが非常に小さければ理想的なスイッチに近づき、高いオン・オフ電流比と低い待機電力につながると記しています。スイングが小さいほど同じ桁数をより狭い電圧の中で渡れますから、与えられた電圧範囲の中で開ける桁数が増えます。
画素スイッチではオフ電流が時間を買います
前のシリーズの #04 で、液晶画面の画素一つをスイッチ一つとコンデンサ一つに整理しました。ゲート配線が一行のスイッチを開いて明るさの値を書き込み、スイッチがオフになったあとは、コンデンサに蓄えられた電荷が次の番までその値を保ちました。
ここでオフ電流が何をするのかがはっきりします。オフにしたスイッチを通って漏れる電流は蓄えておいた電荷を削っていきます。漏れる量が多ければ、次の番が回ってくる前に値がぼやけます。画素スイッチでオフ電流が小さくなければならない理由は、速さや強さではなく持ちこたえる時間のためです。
材料を変えるとこの時間がどれだけ変わるのかは、公開文献にも書かれています。ウィキペディアの 「Indium gallium zinc oxide」の項目は、この酸化物半導体が非常に低い漏れ電流を持つと記し、その結果として書き直さなくても画面の情報を保持して消費電力を従来の 5分の1 ないし 10分の1 の水準まで下げると記しています。漏れる量を減らしたことが、そのまま書き直す回数を減らしたことになります。
オフ電流は一筋では来ません
最後に一つはっきりさせておかなければなりません。オフ電流という名前は一つですが、その値をつくる経路はいくつもあります。
ウィキペディアの 「Leakage (electronics)」の項目は、半導体での漏れ経路として次のものを並べて挙げています。
- 絶縁領域を通した量子トンネリング —— 厚さが薄くなるほど指数的に増えます。
- MOSFET のソースとドレインの間のしきい値下伝導 —— 先ほど見たあの区間です。
- ゲート絶縁膜を横切るゲート酸化膜トンネリング
- 高濃度にドーピングされた PN 接合を横切る接合トンネリング
- 配線同士の漏れ
ここに光が加わります。画面の中の素子は常に光の中にあります。ウィキペディアの「Indium gallium zinc oxide」の項目は、これらの素子がわずかな光感度を持ち、その効果が光子エネルギー 3 eV 以上、すなわち濃い紫から紫外の領域ではっきりすると記しています。
ですからオフ電流一つの値だけを見ても、どの経路が大きくなったのかは見分けられません。経路を分けて見るには、温度・ドレイン電圧・光の条件を別々に変えながら測る必要があります。その方法はこのシリーズの範囲を超えますので、別のシリーズで改めて扱います。
まとめ
- しきい値下スイングは電流を十倍にするのにかかるゲート電圧です。単位は mV/decade で、傾きの逆数ですから小さいほど急です。
- 室温には下がれない底があります。0.02585 V × 2.3026 = 0.0595 V、すなわち約 60 mV/decade です。この底を決めるのは構造ではなく温度であり、キャリアの熱的な分布から出てくるのでボルツマン限界と呼ばれます。
- 実際の値は下限に m = (Cox + Cit)/Cox を掛けただけの大きさです。ゲート電圧が表面電位と絶縁膜の取り分に分かれ、界面に捕らわれた電荷が取り分をより多く持っていくと、チャネルに届く電圧が減って曲線が寝ます。
- オン電流・オフ電流・その比はすべて読む条件が値の一部である定義値です。対数軸では比が縦に開いたマスの数としてそのまま読めます。アモルファスシリコン薄膜トランジスタのオン・オフ比として 106~108 が紹介されています。
- 液晶画素のスイッチでオフ電流が小さくなければならない理由は蓄えておいた電荷が次の番まで残らなければならないからです。そのオフ電流は、しきい値下伝導・絶縁膜トンネリング・接合トンネリング・光による電流が重なった合計です。
ここまでしきい値電圧としきい値下の傾きで点く位置と点き方を見てきました。次回は点いたあとの話に移り、チャネルの中のキャリアがどれだけよく動くかを表す移動度を伝達曲線からどう引き出すのかを見ます。
参考資料
- Subthreshold slope — Wikipedia : しきい値下の区間の対数-線形な振る舞い、decade がドレイン電流の 10 倍の増加を意味するという定義、S = ln(10)(kT/q)(1 + Cd/Cox) とその最小値 ln(10)kT/q(300 K で 60 mV/dec)、縮小された素子の室温実測およそ 70 mV/dec
- Subthreshold conduction — Wikipedia : しきい値電圧より下でもソース・ドレイン間に電流が続くという定義と、その対数-線形な傾きがスイッチング効率の指標として使われるという記述
- Thermal voltage — Wikipedia : VT = kT/q の定義と 300 K で約 25.85 mV
- Tunnel field-effect transistor — Wikipedia : キャリアの熱的なマクスウェル–ボルツマンの尾がしきい値下スイングを室温で約 60 mV/decade に制限するという記述と、これが電力縮小の根本的な限界であるという記述
- A. Beckers, F. Jazaeri, C. Enz, "Revised theoretical limit of subthreshold swing in field-effect transistors" — arXiv:1811.09146 : この下限をボルツマン限界と呼び、極低温でそこから外れる温度依存の限界を報告
- H. Bohuslavskyi et al., "Cryogenic Subthreshold Swing Saturation in FD-SOI MOSFETs described with Band Broadening" — arXiv:1903.05409 : S = m·ln10·kT/e と m = (Cox + Cit)/Cox ≥ 1 の定義、ゲート電圧が表面電位と絶縁膜の取り分に分かれるという関係式、m = 1.14・1.23 の実測、4.3 K で 7.3 mV/dec、小さなスイングが高いオン・オフ比につながるという記述
- Organic field-effect transistor — Wikipedia : オン・オフ電流比が素子を消すことができる能力を表すという記述と、アモルファスシリコン TFT の 106~108
- Leakage (electronics) — Wikipedia : 半導体の漏れ経路の一覧 —— 絶縁領域を通した量子トンネリング、しきい値下伝導、ゲート酸化膜トンネリング、高濃度ドーピング PN 接合のトンネリング、配線間の漏れ
- Indium gallium zinc oxide — Wikipedia : 非常に低い漏れ電流、書き直さずに画面の情報を保持して消費電力を 5分の1〜10分の1 に下げるという記述、光子エネルギー 3 eV 以上ではっきりする光感度
- ※ 上記の一覧のうち Wikipedia の項目から引用した部分は CC BY-SA 4.0 ライセンスに従います。